株式会社 新和

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会社概要

Company

Greeting

代表挨拶

技術を磨き続けた軌跡
学びと実践のものづくり人生

1968年⽣まれ
千代⽥区神⽥の⼩中学校を卒業、満員電⾞の電⾞通学が嫌になって家から⾒えるところの⾼校に⼊学したいと思い関東第⼀⾼等学校に⼊学、機械科にて物作りの基礎を学ぶ。⾼校3 年⽣では⽣徒会で会計を務め、同年硬式野球部は甲⼦園に初出場、⽣徒会だったので応援団としてアルプススタンドで応援したという⾼校⽣活。⾼校を卒業して⼤学に進学したかったが家庭に⾦銭的な余裕もなく、⼤⽥区の⾦型専⾨の職業訓練校で⾦型の勉強をすることにし、1年間⼤⽥区まで通学、学校ではキサゲやヤスリの使い⽅を学び、すり合わせの実地試験にて技能⼠保という資格を得ます。学校卒業後は東京都荒川区の松⽥⾦型⼯業㈱に就職、会社では専⾨の分野を持つことなくなんでも加⼯したので、会社にあるほぼ全ての⼯作機械に触れる事が出来ました。

成形と金型の融合を目指して
受け継いだ会社の挑戦

型屋では13年勤務し⾦型の製造に携わります、⾦型製作が好きになり全く持って退社するつもりはなかったのですが、⽗親の闘病が始まり1998 年(平成10 年)⽗親の会社に勤務し、現在に⾄ります。
現在成形機のオペレーターとしては26年。
会社を継いだ時からの夢ですが、成形と⾦型の両⽅を請け負える会社を⽬指しています。今もってしても⾦型製作は奥深く⾯⽩い業務です。

金型と成形の共存共栄
難しさこそがやりがいに

何故かこの業界、両⽅の業務を⾏っている会社は経営がうまくいかないのですが、近年では設備を持たなくてもCADの図⾯さえ書けてそれを精密に作ってくれる協⼒会社さえあれば⾦型もある程度はまとめる事が出来ると思います。
業務そのものは⾦型も成形も難しい、難しいからこそやりがいもあります。
⾦型あっての成形、成形のちょっとした改善は⾦型の細かい調整にあり、お互い共存共栄の関係なんです。

オートバイと金型
レースで培った技術と精神

仕事以外では⾼校からオートバイに熱中し、最初は選⼿だったのですが、数々の⾻折を経てライダーとしての才能が無いことを感じ、メカニックとしての活動に変更、地⽅選⼿権、全⽇本選⼿権、アジア選⼿権とその活動範囲も広くなっていきました。
アジア選⼿権ではFIMカテゴリーという国際⼤会だったこともあり異⽂化交流含め⼤変興奮した思い出になりました。趣味を本業としたかったところですがやはりこの業界で収⼊を得ることは⼤変なことで、趣味は趣味と割り切っていたのですがもう⼀度FIM 格式のレースに携わりたいという⼀念で活動を続け、鈴⿅8時間耐久レースのメカニックに2年お⼿伝いして⽬標は達成し、活動を⼀旦休⽌する事にしました。
実は趣味が本業にも役に⽴っている事が多くあります、例えば⾦型のネジを締める事⼀つでもレーサーの整備と同様の締め⽅をしていますし、何よりもできるまであきらめない精神⼒はオートバイレースの世界で養われた物と確信しています。

Outline

会社概要

会社名 株式会社新和
代表取締役 須藤 政久
資本金 1000万円
従業員 (パート含む) 10名
適格請求書発行事業者登録番号 T7011701004109
取引先銀行 朝日信用金庫 栃木銀行

History

沿革

前身

⽇商樹脂⼯業㈱
諸事情により倒産。
これまでの客先からの信頼が厚く再出発をすることになり、『称号 新和』として新しい業務を⾏う事とする。

創業1986年(昭和61年) 12⽉19⽇設⽴

東京都江⼾川区にて本社⼯場、第2⼯場にて稼働、零細企業として東京都江⼾川区にて再出発をした会社だが、鳴かず⾶ばずの⽇々が続く建屋は古く、戦前からの⽊造の⼯場戦後マッカーサーが⽇本の航空写真を撮った際に写っているというとても古い建屋で、⼯場の床コンクリではなく⼟間で夏はセミが孵化する⾵景を眺めながら仕事をする始末

今は亡き弊社創業の社⻑同じく、当時多くの零細企業は同じような状況だったと、貧乏でも夢があり、みんな夢を語り、同じ様にくわえ煙草で汗や油にまみれて必死になって⽇本経済を引っ張ってきたと
先代の社⻑はアイディアマンでした。たくさんの簡易的な図⾯も書いていました。相談した相⼿に出し抜かれて製品化されてしまった製品もあるし、今でも製品化すれば売れるじゃないかといった物もある。ただ、アイディアを実現する財⼒が無かった、⼀度倒産という失敗を経験していることもあり、⽇本の⾵⼟も相まって臆病になるのは想像に難しくないと思う。

⼈柄は良いのだが遊びも⼤好き、なかなか業績も伸びない⽇々が続き、次第に従業員からも愛想をつかされてきてしまいます。当時⽚腕として頼りにしていた不法就労の従業員が送還されてしまい、社⻑は⼀路バングラデシュの⼤使館までビザの申請に陳情しに⾏く、その最中当時著名なジャーナリストも帯同し、NHKなどにて⼀部取り上げられ、ジャパニーズ・ドリーム物語として物語⾵に出版となる。
1994年 株式会社社会評論社 ジャパニーズ・ドリーム物語

2000年も過ぎたころには客先にも恵まれていて売り上げも少々だが上向いてきた。
ただ、機械を⼊れ替えるハードルは⾼く、80年代の機械を直し直し使っていたが2008年に新型の機械を導⼊すると格段に品質が上がり、その違いに愕然としたものだった。⼯場は吉川に移転するまで稼働していて、稼働していた⼯場は借家だった為に移転の際には建屋を解体するという⼤家との約束になっていて、機械搬出後に柱を蹴ったら屋根が落ちたので、あのまま使⽤していたら東⽇本の震災で間違いなく被災していたと思われる。

2008 川⼝KX180新規導⼊ 油圧機
2009 川⼝KX180にハーモ製5軸トラバース設置
化粧品の製造依頼を受託
2010 埼⽟県吉川市の⼯業専⽤地に⼯場移転 100坪 購⼊
代表取締役 須藤 清より引継ぎ
後任 須藤 政久が代表取締役就任
2014 第⼀⼯場近接場所に第2⼯場 70坪 購⼊
倉庫 ⾦型⼯場併設
2015 東芝機械㈱ EC130SX 電動機
2016 東洋機械⾦属㈱ Si-6 130t
2017 住友機械㈱ EV130HD 電動機
汎⽤旋盤
2018 東芝機械㈱ EC180SXⅢ 電動機
2020 第⼀⼯場隣接場所に第3⼯場 60坪 購⼊
クレーン設備 ⼯場として成形機を2台稼働
2022 東洋機械⾦属㈱ Si-6s180 電動機+ハーモ製5軸トラバース
⼭崎技研㈱ NCフライス
⽇興 平⾯研削盤 600×300
2023 東洋機械⾦属㈱ Si-6s100 電動機+ハーモ製5軸トラバース
2024 第38期 令和5年10⽉1⽇〜令和6年9⽉30⽇ 2024年
2025 現在39期

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